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認知症 と向き合う生き方。家族が認知症を発症してから

認知症 という病気を皆さんはご存知だと思います。年齢を経て少しずつ進行する病気で、最終的には記憶を喪失して他人のようになってしまう、本人も家族も不幸になってしまう病気です。

厚生省の調べでは、2012年の時点で65歳以上の高齢者で認知症を患っているのは約462万人、また、数年のうちに認知症を発症すると考えられている軽度認知障害の予備軍を合わせるとなんと800万人以上になる計算です。これは高齢者の4人に1人が認知症を発症する可能性があるか、もしくは認知症であるという事になります。

「もし自分自身や家族が認知症を発症したら・・・」これは多くの人が直面する問題です。

認知症 は、長生きすればするほど発症してしまう厄介な病気

恐ろしい事ですが、認知症という病気は「長生きをすればするほど、発症のリスクが高くなる病気」である事を知る事が必要です。世界最長寿国である日本では、高い医療技術と医療制度に支えられて、とても皮肉な事ですが認知症リスクを高めてしまっているのが事実です。そして、この認知症リスクは、年々増加している傾向にあります。

では、この迫り来る異常事態に、私達が個人でできる対策はあるのでしょうか?正しい答えはいまのところ見つかっていませんが、とにかく「認知症」を良く知るところから初めてみる事が肝心です。

認知症と言えば、親兄弟を忘れてしまったり、夜中の徘徊、暴力行為といった異常な行動が想い浮かびますが、最近の研究では家族や近親者による接し方や態度で、これらの症状の進行が極端に遅くなったり、症状が改善する例が数多く見られています。では、改善のポイントとはなんでしょうか?それは、

個人の尊厳を尊重できるか?

という事です。尊厳を尊重するという言葉は難しいのですが、私が考えるのは、「認知症が始まる前と同じ対応と環境」と捉えています。たしかに、食事も上手く取れなくなりますし、排便なども自分の力だけではままなりません。だから私達は「お荷物」としての対応をしてしまいすし、世話をされる側も「お荷物」である事を敏感に感じているのです。これらが、認知症の症状の進行を更に促して、暴力や暴言に繋がっている場合が少なくないのです。

ですから、この「尊厳の尊重」を気にかけて接する事で、認知症患者の症状は改善に向かうとされています。

このような認知症の症状改善報告を数多く受けて、介護現場でも認知症のケアを提供する側の考え方に変化が見られてきています。少しずつではありますが、認知症を発症している認知症患者への「尊厳を守りながらケアする方法」が広がりつつあるようです。

自分の家族が他人に変わってゆく失望と絶望

認知症が本当に怖いのは、自分の肉親が徐々に他人になっていくところだと私は考えています。見舞いに行き、病室に入ると「まあ、よく来てくださいまして」と丁寧な物言いをしますが、そこには家族として迎え入れてくれているのではありません。認知症患者にとっては、病室を訪れているのは「家族」ではなく「他人」なのです。

この瞬間、肉親が認知症患者を患った時の失望と、なんとも言えない脱力感を味合うことになります。しかし、これで終わりではありません。認知症の症状が進行するにつれて、自分の家族であった人が、そうでなくなる変化の過程を、見守り続ければねればなりません。それは経験した者にしか理解し得ない、「失望から絶望」への感情と言えます。近年では、早期治療や投薬治療で認知症の進行を遅らせる事は可能ですが、進行そのものを完全に止める事はできません。
結局のところは、自分の家族が認知症に侵され、人格そのものが壊れていくのを見ているしかないのです。

この絶望感は、患者をケアする者にとっては非常に負担になります。このほか吐き出すことができない感情が、認知症患者へのネグレクトや虐待に繋がってしまう事は想像に難しくありません。虐待を受ける認知症患者も不幸ですが、認知症患者に虐待をしてしまった、ケアする側の精神的な負担も相当なものです。NPO法人福祉住宅供給機構の聞き取り調査で、家族への暴言や虐待をしてしまった経験がある、または同様の衝動に駆られた事があるケースは、全体の20%近くもありました。

「家族だから面倒を見るのは当然。記憶を失ったとしても家族は家族」

と無条件で考える事ができるのは、認知症患者を持つ家族の中でもそれほど多くないのが現実です。それほど強い家族の絆を構築できている人は、現代の日本ではそれほど多くはないでしょう。

認知症患者が時折見せる「かつての自分」

認知症を患い、病気が進行する本人も相当な葛藤と絶望に襲われることがわかっています。認知症は突然記憶を奪うのではなく、徐々に記憶を奪い、そして最終的に自我の部分を崩壊させるのです。

しかし、とても悲しいのは認知症が重度に進行した場合でも、時折かつての自分を取り戻したりする事があるのです。この時、認知症患者自身は、自分が周囲に迷惑をかけている事を認識して、自分がなにも出来ない状態である事に涙する姿を何度も見たことがあります。自分を取り戻す時間はとても短いのですが、認知症を発症する前の自分に戻る事があるこの時間は、認知症患者にとっては最大の不幸な時間ではないでしょうか。

医学的にはアルツハイマー病で失った記憶は戻ることがないとされています。そもそも記憶とは、神経細胞同士の連結によって構築されているもので、この連結が壊れた時点で記憶情報は失われるとされています。ですが、多くの認知症患者本人やケアをする人、自分の家族を見てきた経験から言わせてもらえば、時折記憶を戻しては下の世話を受けている自分の不甲斐なさに泣き、「ごめんね」とか細い声で謝り、その何分後かには重度の認知症患者に戻っていく・・・。

それらの度に、ケアする側の家族も同様に不甲斐なさを感じ、言葉にはできない虚脱感に襲われる事になります。

まずは認知症を理解しよう!認知症とはどんな病気なのか?

認知機能の低下によって自分自身の力だけでは日常生活や社会生活の遂行が困難になった状態が認知症と定義されています。この認知症は病名ではなく、「認知が困難になる」という意味の病気の症状の事です。この症状を伴う病気は約70種類ほどあるのですが、大きな原因となっているのは、誰もが聞いたことがある「アルツハイマー病」ではないでしょうか。このアルツハイマー病が記憶障害を引き起こしたり、徘徊や妄想などを引き起こすのです。アルツハイマー病が引き起こす症状は2種類あり、大きく分けて中核症状と周辺症状に分けられます。

  • 中核症状:判断力低下・記憶障害・言語の理解能力低下・場所や時間概念の喪失
  • 周辺症状:興奮・暴力・暴言・徘徊・うつ・厳格・意欲低下・妄想・怒り

中核症状よりも周辺症状のほうが深刻で、周辺症状は発症した途端にケアをする家族や周囲には一気に負担が重くなる事が多くなります。しかし近年の研究では、ケア環境の変化で周辺症状を抑えられるケースが多く見られ、症状の初期段階でのケアがとても重要視されてきています。

「物忘れ」と「認知症」の違いをみなさんはご存知ですか?この2つは似ているようですが、全く別物である事を理解していただく必要があります。例えば、「友達の名前はなんだったかな?思い出せないな??」というのが物忘れです。これに対して、「友達の存在や、友達とのいままでの付き合いすべてを忘れてしまう事」が認知症です。文字では少しの違いですが、状況は絶望的な程かけ離れている事はお解りいただけましたか。

「自分は認知症ではないだろうか?」と自分から診察を受ける人は比較的には年齢による「物忘れ」である場合が多いのです。認知症を発症していれば、「自分は認知症ではないだろうか」と気になることはありません。なぜなら、自分が「忘れている事」を認知できないのですから。

自分の親が認知症を発症する。その時あなたは?

自分の事を家族として理解しない肉親を、あなたは自分の肉親として介護する事ができますか? 私の場合は祖母が重度の認知症を発症しました。徐々に記憶を失い、現在は私の母を、そして孫である私の事も肉親として認識する事はありません。しかし私の母は、その祖母を自宅で介護する道を選びました。

「自分の親は自分で看るのは当然」

と私の母は言って自宅で1年半ケアを続けました。いろいろ大変でしたが、ケアの方法で私と衝突する事もありました。しかし、お互い祖母の事を考え、私自身はそこにケアをする「母」の事を考えた上での衝突です。昼夜を問わない看護で母も相当疲れが出てしまい、祖母に時折声を荒げる事がありました。その頃からでしょうか、祖母が激しく母に暴言を言うようになり、時には手を上げることもありました。

自宅でのケアがここが限界点と感じた私は、母に私の考え方を話した上で、私がすべきケアの対象は「母」が第一である事、そして認知症の進行に伴いケアする環境は激しく悪化している事、そして祖母にとっては、現状はプラスの環境ではない事を理解してもらった上で、祖母の専門の施設への入院を認めてもらいました。

現在では、祖母も相変わらず私達の事は忘れたままですが、「元気」でのびのびと過ごしています。口は悪いですが(笑)、暴言や暴力もなくなりました。

たしかに、自分の親を介護施設に預けるのには、倫理的にどうだろうか、と思うとことがあるのも事実です。しかし、この場合は参考にするのは世間体や倫理感ではなく、「介護されるべき人の幸福」と「介護する側の生活を守る」ことの2点に主眼を置くことが大事なのではないのでしょうか。

あなたの生活が介護の負担に潰されてしまうような介護を、あなたはするべきではありません。

認知症患者は「子供のような行動」をしてしまう大人

認知症の患者を介護するときのは、どうしても「子供を扱う」ように対応してしまう人が殆どではないでしょうか。子供に話しかけるような言葉で優しく語りかけ、どちらかと言えば幼稚な言葉使いで対応している方を非常に多く見受けます。相手が高齢で、認知症を患い物事を十分に理解できていないと思うから、介護する側からすれば当然の対応です。

しかし、多くの認知症患者はそれを「良いこと」とは捉えていないと最近の研究では言われています。では、それは何故か?理由はとても簡単な事でした。認知症患者は尊厳のある「大人」なのです。

認知症患者は、感情のコントロールや物事を理解する能力の一部機能が低下しているだけで、当然子供ではありませんし、ましてや子供に戻った訳でもありません。しかし、現実としては、痴呆症患者を介護する側の態度は、「大人を子供扱いする」訳ですから、その行為に対して介護される側の反発があるのは当然の事と言えます。

認知症の予兆症状を把握して、適切な診療を早めに受診する

認知症は一度発症してしまうと、現在の医学をもってしても回復や完治は困難な「不治の病」です。しかし、完治は困難でも、症状を遅らせて日常生活を支障なく送る事が可能なケースは数多くあります。そのためには、認知症が発症する前の予兆現象をいち早くキャッチする事が非常に重要です。専門医に相談して、認知症と診断されれば、すぐに症状の進行を遅らせる手立てを打ってもらうことです。この場合、高齢者自身で認知症と判断する事は難しいので、家族がどれだく早く予兆をキャッチして、高齢者の自尊心を傷つけることなく受診してもらうかが、最大の難関となります。

注意してもらいたいのは、認知症の診断をするのはどこの病院でも良いわけではありません。認知症の専門医がいて、適切な処置をしてもらえるところでないと意味が無いのです。認知症は診察が難しい病気で、経験の少ない病院では認知症の初期症状を見過ごす事はまれに起きているようです。

認知症を良く理解して、経験のあるドクターと病院に早めにかかる事が、認知症の症状進行を遅らせるための第一歩です。

徘徊防止の為に認知症患者を拘束するべきか?

この問題には法的な問題や倫理上の問題が常につきまといます。しかし、世の中の風潮を恐れずに言うのであれば、「拘束」するべきところは拘束すべきだと考えています。これは個人的な見解です。

特に本人に危険が及ぶ場合や、他人に危害を加えるおそれがある場合は特にそうです。

拘束自体が虐待にあたるかどうかは、それぞれ個別の状況によって異なるのではないでしょうか。一律に「ここからが虐待になる」という明確な線引きは非常に困難です。

「本当に拘束が必要か?」と不安になったきは、かかりつけの医師やヘルパーさんなどと相談して下さい。そして家族内でよく相談して、できる事ならば、家族外の意見も十分に聞いて参考する事が大切です。周りの関係者に現状をきちんと把握してもらう事が何よりも大切である事を忘れないでください。

拘束するかどうかを決めるのは、自分ひとりの判断では責任が重すぎる場合がほとんどです。一人で抱え込まずに相談する事を心掛けてください。

どうしても暴力行為がとまらない時の対策

認知症の周辺症状が進むと、暴言や暴力が激しくなる場合があります。冷静なときにでも、突然何かに怒りだして回りを唖然とさせる事もしばしばです。その周囲の唖然とした態度を見て、更に怒りが増すといった現象を繰り返します。

私の祖母も、以前はとてもおとなしい人で、怒りなどを表面に表す人ではありませんでした。当然、他人の悪口などを口にするところを聞いたことがありません。

しかし、認知症を発症してからは、突然に怒りを爆発させる事が多くなりました。その様子を何度となく見てきましたが、そこにかつての祖母はおらず、まったく別人のおばあさんがいるような感じになります。孫である私がそう感じるのですから、実の娘である私の母も、更にこの眼の前で激昂しているおばあさんが、まったく他人の異質なものに見えていたのは想像に難しくありません。

更にエスカレートすると、家族だけでなく、看護師さんにも暴言や怒りをぶつけるようになりました。恐らく、本人には本人なりの整合性のとれた理由があるのだとは思いますが、それは理屈ではありません。本人だけが理解できている理屈で、怒りをぶつけてくるのです。

少し時間がたつと、まるでウソかのように穏やかになります。怒っていた事を忘れてしまったのか、自分の中で怒りを収める理屈がついたのは不明ですが、怒りが収まるのも、突然に終わりがくるのです。そして、何事もなかったかのように話し出します。

しかし、この症状は現在では落ち着いています。できるだけ「昔のように接する」だけで、状況は劇的に変化しています。

どうして何度も同じことを聞き返すのか?

認知症患者は何度でも同じことを聞き返します。認知症の患者を世話している方なら、この「何度も同じことを言われる」という事にうんざりしている人も多いかもしれません。ではなぜ、認知症患者の皆さんが同じことを聞き返すのかを考えた事はありますか?

まずはそこがたまらなく不安である事は間違いありません。「明日のお天気はなんやろね。明日は雨やと思うわ」と10分おきに聞き返す場合は、明日雨であっては困る理由が本人の中にあるのです。実際に予定が有るわけはないのですが、本人にとっては、重要な何かがあるのです。

しかし、私達はその問いかけに対して、生返事や適当に答えてしまいがちです。そのような態度を見て、認知症患者は「大事なことなのに、なんという態度をするのか!」と憤る訳です。このような状況が続けば、暴言や暴力行為につながりやすくなるのは言うまでもありません。「自分は無視されている」と感じるのですから、自分の殻に閉じこもってしまい症状を悪化させてしまいます。

何度も同じ事を質問される方も、意味のない事を何度も聞かれて、その都度まじめに答える事に対してストレスがたまります。返答が適当になったり、時には生返事や無視してしまう事も多くなってしまいます。

私達はこの問題を解決するために、「今日の天気」なるものを紙に大きく書いて、ベットの見える範囲に貼っておきました。すると自分で気になった時は、その紙を見て確認して、天気に関する質問が劇的に減りました。何度も同じ質問で悩まされている場合は、試してみるのも良いかもしれませんね。

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